雑記

親愛なる○○に捧げる

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娯楽は

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今週、こんな色使いを覚えました。コレばっかり使っちゃうかも。

「シエスタという子供が火砲研究所で働いてる。強制的に。そんな中でもシエスタは幸せを見つけていく。世の中は働かない、ニートって駄目なヤツラがいる。そんなニートたちに、マンガを通して働くことの何かを教える。」

この姿勢で娯楽を描くことは、本当に「最悪」だと思う。やってないぞ、私は。断じて、そんな意識は無い!!(力説)
「娯楽ってのは、世の中を駄目にするくらいで無いといけないんだ!」と説く、島本和彦先生のお言葉に強く感化されてのことである。

たれ目の編集者が言ったんだけど、全く先生は素晴らしい発言をキャラにおさせになる。実際そんな立場で娯楽作品を描きはじめたら、もう本当に世の中が駄目になる、そんな気がする。ていうか、それがもしも受けるとすれば、そんな世の中がもう救いようが無いくらい「最悪」なのである。

なぜか。
私は、「面白い」ということは世間一般常識を「ひとつだけ」裏に回ったところにあると思うからである。例えばシュールってのはベタの裏に入ったものだ。(という私の認識)
大衆受けする「面白い」は、大衆の常識の1枚上をいくものだと思ってる。すると、「働く若者が大多数の世界」では「ニート」は面白い存在だ。実際、今は私は働く若者なので、ニートの存在は凄くうらやましく、自分がバカにされてるみたいでこづら憎い。だから面白い。

ニートを増やすような世の中を駄目にするマンガは、面白いかもしんない。例えばハリウッド映画のように、優れた娯楽作品を多く生み出す国は、良識も市民の質も高い、とても優れた国なのだろう。

極めていいかげんなことを今焼酎ロック飲んでる酔っ払いが書いた。
この人はなんか偉そうに働くことを語るけど、じつはこれら全てがネット上の妄想で、仮想人格であり、マルメンライトの正体はマンガとゲームしかやることのないニートだったとしたら、どうだろうか…。

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