雑記

親愛なる○○に捧げる

作品か作者か

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職人というのがなんか好きで、たとえば漫画家もそうだけども、芸術家さん(あいまい)とか、今描いてる漫画で行けば造砲家、刀鍛冶、他にも建築家や作曲家、クリエイティブになにか作品を残していく、そういうのを面白がっている。現実の自分が生業としているのは、5年保存の文書とかあるものの、生活相談に答えたりするのは形に残らないので(それは万一間違っても、証拠が残らないので逆に良かったりするのだが)なんか憧れてるのだ。

自身は漫画に関してさえ職人芸とは言えないので、妄想や憧れでしかないのだが、マルメンライト流の職人キャラクタたちが漫画に登場する。ところがキャラクタというのはある程度出来上がってくると、勝手に話し出したり動き出したりし、私の中の職人像から反した行動や発言をする。

『俺はこのナイフ(火砲)を作りあげた。そしてそのことが、俺を成長させたのだ。ナイフ(火砲)を作ることで、俺は成長する。』とかそういうところだ。
独立独歩の職人ってのは、作る作品に価値がないといけない、職人に価値があってもそれはどうしようもない。だって職人は作品で判断される。良い作品を作ることが出来たら、天下を取ったも同然だ。火砲やナイフを作ることで、職人が成長することに価値があるのだとしたら、作り上げた作品には価値が無いということになるもの。それは作品と作者を比較して、という意味であるが、「あんたって人間にゃ作品ほどの価値が無いな!」と吐き捨てられることは作者にとっての無上の喜びでないといけないんじゃないの。

ジョンにしても、ウイングにしても、そういうキャラクタを描くことに若干満足を覚えるものの、私が彼らに魅力を感じるのは、その製作物に人生を賭した、という部分が大きい。一片の鋼、あるいは1tの鉄塊を加工することでしか、自分を表現できない連中なのであって、それ以外の部分は実際邪魔でしかないのかもしれない。少なくとも、当人たちにはそう思っていてもらいたいのだが。でもそれがキャラってもんらしい。

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