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人を殺してはいけない理由について

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バーバリアン・アット・ザ・ゲート。(門を叩く野蛮人)

「他人を殺したり、傷つけたりすること、金品を奪ったりすることは、どうしてダメなの?」という青少年の問いに、明快に答えられますか、というような。別に誰かに問われたわけでもないんですけど、ブログってのはそういうのを主張する場でしょうかね。

答えられないとするといい大人じゃないような気がするんですが、子供に対して、明快に答えにくい側面でもあるのかもしれませんね?あんまり気にせずいこうと思います。


これに対する私の答えはヒジョーに簡単です。
「損になるから」です。


あんまり勉強してないですが、述べてみます。

本質論

原始人の化石とかの調査を知る限り、災害や事故じゃない形で死んでるものがたくさんあることから、人間の性質ってやつは明らかです。野蛮なんですよ。なんかを奪い合って殺しあいを演じ、武器や作戦を考えるようになった。
一方で、化石には足が折れて3ヶ月以上経過してから死んだことが分かる化石もあります。完全に立てない状態の人間が3ヶ月以上も生存したわけで、これはつまり看病する人間がいたことを示しています。矛盾してますけど、これが人間の大きな部分を表してます。

あんまりしたこと無いので良くわからないけど、多分暴力や暴虐の限りを尽くすことは、人によっては楽しいことなんですよ。ひょっとしたら、一方的にそれが出来るなら多くの人にとって楽しいんですよ。

あるいは、「正義」という名で語られる自己肯定的な考え方で、殺された側が存在することで発生する障害(自分になって損なこと)を排除することや利益を得ることが正当化されます。

普通の人間でも、他人より優れた物を得て、それを見せびらかすことは楽しい。他人の知らないことを知ってればそれは伝えたい。伝えて気分よくなりたい。映画のレビューとかそうじゃないですか。

得た物が、腕力とかになると、バーベルとかあげたり、隠しようもない腕の太さを誇るわけで、それで満足いく人が多いしそうするようになってるけど、でもできたらその力を使ってあんまり好きでない人の大事な物をめちゃくちゃにしてみて、ひょっとしたらそれは楽しいかもしれない。楽しくないまでも、金品を奪えば得する。

例えば「殺す」ということになった場合、それはその人の人生を背負うというか、すごく罪の感情に苛まれるようなんですけど、人間の脳は「忘れる」という働きを持っているので、終いには慣れるというのが普通のようです。戦争とかそうですよね。


殺すならば、殺されることを覚悟せねばならない

自由の国が大発展してるせいか、根本的な自由がかなり過酷な物であることをすっとばして最高の価値にしてる感じの物を見受けます。「フリーダム」とか言って、情けないことです。なにしても自由ですか。

そうなると人間誰でも殺したいように殺して、世界中で好きにやったらいいわけです。そうなると、奪うために金品を持っている人を殺したら、今や自分の物となったその金品を、金品の分だけ大勢の人が奪いにかかってきて、殺される場合があります。

ここが「損」です。この場合、とりあえず金品があればいいのに、それプラス自分の命まで守る必要がある。こんなことを繰り返すより、少なくとも殺し合わずに金品を得る世界のルールを作った方が余計なことをしなくて良い。

でね、このへんのことは誰でも分かる当たり前のことですよ。というのは、有史以来、そういうバトルロワイヤルみたいな誰もが殺し合うような無秩序な時代は、誰かがそういう考えを発明するまで続いたのか、というとそうでもなく、ほっといてもどっかで誰かが必ず秩序を生んでた。だから当たり前ですよ。

それが分からんという青少年の問いがあるとかないとか、それは多分「自由」という言葉が歪められて伝えられてるからではないですか。

今の自由競争とか自由社会とかは、無秩序のことかと言うとそうじゃなく、むしろ完全な管理の下にある自由であって、無秩序の対極にあるものですよ。ルールの盲点をついて出し抜いたら、大きくもうけることが出来るけど、手痛いしっぺ返しはありえます(無いとすれば、それは大きな問題)

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