雑記

親愛なる○○に捧げる

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ゆたかな社会とは?

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ビル・クロンクのギャンブラーズプライス。話題はナイフとあんまり関係ないです。


うちの仕事も接客仕事の一環ですから、できるだけ相手に好感を持ってもらうことが能率アップに繋がるし、顧客満足度も高いのです。悪い態度で怒りを買って罵声を浴びせられた時と、よい態度で感謝の言葉をかけてもらった時では、その後の知識労働の能率が違います。だから親身になってやる、あるいは親身になったように見せるほうが、より相手の懐に飛び込め、トラブルも回避できます。具体的には、年配の方を「おとーさん」「おかーさん」と呼んで困った表情出すとかです。

その辺はテクニックになってくるんですが、親身になってやるのは悪くないです。でも私のやり方は、マンガ創作で培った感受性の高さの弊害か、相手に感情移入しすぎて辛くなっちゃうときがあります。


障害を持っている人と良く会うんです。自分たちが望んだわけでもない、何の罪も無いのに不幸にして障害を負ってしまった人たちです。この人たちやその家族を、私たちは「可哀想だ」と思ってはいけない、とされています。それは差別だからです。差別ってのは、難しいですよね… だから、粛々と事務をします。

肢体の障害、視力・聴力の障害、心臓など循環器系の障害、呼吸器の障害、内臓系の障害、精神の障害…
たしかに、私たちから彼らに「頑張ってくださいね」なんていう必要は無いです。言うべき言葉じゃない。でもそういうお客さんには、心底「なんとかしてやりたい」という衝動が自分を突き動かすことがあります。そういう感情を押し殺すのがすごく大変なことが多くて、差別だ何だと固いこといわずに、やれることを精一杯やればいいんじゃないかと思います。

障害者の気持ちになってやるといっても、結論から言えば私たちには障害が無いから、彼らの気持ちなんてわかりっこないです。
生まれつき完全に視力を失う障害を持った人の家族に、「日常生活で不便を感じることはありますか?」という項目を書いてもらってたら、「特になし」と書いてあって、「トイレ行くのに点字ブロックが無くても人に場所を聞いたら行けますし、お風呂入るのもゴハンも一人で食べられますしね…」
とご家族の方が言ったとき、すごく辛かった。彼らは、障害があるという生活の方が日常だから。

この質問項目は、日常生活が困難な障害者に、生活の糧としてのお金を交付する障害年金を申請するための項目です。だからこの質問の回答としては、カルテに出ないような日常生活の困難を申し立ててもらわないといけないものなんですよね。結局、書き直してもらいました。そういった自分の仕事に、誇りを持ってやってます。


障害年金は、障害を持つ人に、若干のお金を交付するもので、幸いにして現在の社会は、こうしたお金を交付することが出来るような、ゆたかさをもっています。けど、真にゆたかな社会と言うのはなんであろうか、と思います。障害年金とは、「このお金で障害であることに我慢してくれ」というような性質のお金とは違う。断じて違います。

多くの障害者は、労働を医師から止められたり、不可能だったりします。出来る仕事があればするけど、無いというケースがほとんどでしょう。現在の社会が、そういう仕事を少量しか用意してないです。
まったく別の問題として、労働とは、仕事とはなんなのか、という問いでもあります。働かないですむだけのお金があれば、働かないのがゆたかな社会なのか? そこに能力を発揮する喜びや、辛さがあって、それが生きる糧となるときは無いか? そういった社会に参加の喜びは無いか?

「ゆたかさ」の概念はきっと人それぞれでしょうが、私は「ゆたかな社会」とは様々なハンディキャップをもつ人たちを受け入れることが出来、彼らがそのハンディキャップを感じることなく、自由に仕事を選び、能力を発揮して参加できる社会じゃないか、と思ってます。

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