雑記

親愛なる○○に捧げる

喫煙所の心理学

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「禁煙しろと言ってるんじゃない、だが副流煙を吸うのはおことわりだ」、嫌煙者がそう仰りたいのは、我々一同、理解しとるつもりであります。

かような風潮もあって、喫煙所は時間帯によっては一種異様な雰囲気をもつ空間になってきています。各フロア一箇所しかもうけられていない喫煙所は、朝の始業前、満員電車かと思うばかりに混雑しています。

この空間と、そこに交錯される心理ってやつは、なかなか面白いものだと思います。ここに集まってくる人たちは、どうやら自分の長年の習慣は、良くないことであるらしい、と社会から指摘された人たちです。喫煙仲間は確実に減ってきて、しまいには保険適用可能な病気の一種だと断定された。こんな情けないコトありますか。喫煙所に押し込められてることは、どうにか我慢しますが、病人扱いはたまらない…。


情報は耳を塞いでも入ってきますから、多かれ少なかれ、自分が吸ってるものは「毒」だということは分かってるんです。しかし、どうにも信じがたい。こればっかりは、やめられない。タバコが好きなんです。何年も吸ってきて、ひょっとしたら女房より付き合いが長いかもしれない人もいる。習慣を愛する人がいるんです。これを、「ニコチン中毒」だ、と切って捨ててしまうことは簡単ですよ。そりゃまあニコチン中毒なのは事実で、止めようとしてないだけで、止めるとなれば大変な思いをするだろうことは目に見えてますが。

だけどジョン・トラボルタやロバート・デ・ニーロがやるタバコに関するしぐさ、ジッポライターをはじめとする数々の喫煙具、マルボロやラッキーストライクなど星の数ほどの銘柄、その歴史。そういったものを憧れ、記憶し、そしてタバコを好きになってしまったもので、マインドアサシンでも呼んでくれないと、禁煙なんて出来ないよ。つまり、「愛」なんだ。


さて喫煙所には、そういった人たちが集まってきます。お互い、同じ十字架背負ってるんで、同情しあうところが多いのですが、ほぼ全員が顔見知りなのに、言葉を交わすことはまれです。みな顔を伏せ、うつむいたり違った方向を見ることで視線を外し、喫煙効果がうみだす「煙の届く範囲での孤独」を満喫するんです。そこが怪しいセラピーやセミナーと違う、喫煙者のハードボイルドな部分です。

客観的に見た喫煙所は、まるで罰を受けているようで、一人が視線や体の角度を変えると、それをそらすために、みんな少しずつ動きます。両横や背中合わせはOKですが、正面は1メートル以上はなれ、向かい合わせだけは避けます。

これはおそらく、喫煙者が持っているテリトリーでしょう。「煙の届く範囲の孤独」、これです。かかる息の範囲が見える、というのも一つにはあるんでしょう。文字通り、喫煙者がまとうある雰囲気によって、真意を隠したり、あるいは真意をより印象強く伝える技術の一つです。(ドラマや映画などでありますよね)

タバコと言うものが絶滅させられたら、こういったシーンは無くなっていったり、見る人に「?」や不快感をもたらすようになるのか…まあ迷いのあるような状況と言うのが、最も面白いのですが。