雑記

親愛なる○○に捧げる

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1861年、南北戦争勃発の引き金になったサムター要塞は、サウスカロライナ州チャールストン港にある。サウスカロライナは南部。現在の日本の米軍基地と比べれば、アメリカ国内なのに比較にならない状況だ。想像できるだろうか。

すでに南北の対立は極限に達していた。サウスカロライナ州は1860年12月に連邦を離脱。サウスカロライナ州知事ピケンズは、ワシントンに使節を送り、連邦守備隊の撤退を迫った。使節はブキャナン大統領が接見を拒否したが、非公式に「現状維持」の約束を取り付けた。

緊張が高まる中、現地の連邦軍(北軍)守備隊隊長ロバート・アンダーソン少佐は、部隊をサリヴァン岬のムールトリー砦から、海上に浮かぶ堅固な要塞島であるサムター要塞へ移した。ムールトリー砦での防衛が不可能と判断してのことである。

アンダーソン少佐が当地守備隊を拝命したのは、彼の父がアメリカ独立戦争時、ムールトリー砦を守って戦ったと言うこともあったが、アンダーソンは南部生まれであり、かつて黒人奴隷保有者であったことから、いざ開戦の時にはおとなしく降伏を選ぶであろう、との思惑があったとされる。

しかし、攻略不可能とされるサムター要塞に、守備隊が移ったことに、住民側が激怒する。連邦軍本部はアンダーソンに「現状維持」を強要したかったであろうが、(それは要するに死ね、ということなのだが)結局はアンダーソンの裁量の許す範囲であるとした。その間、サウスカロライナ州軍はムールトリー砦他数箇所に、サムター要塞を射程距離に収める砲台群を建設する。一方、アンダーソンの守備隊も未完であったサムター要塞の建築を完成させ、砲門もいくつか追加した。

そして1861年3月4日、リンカーンが大統領に就任し、その就任演説で南部にある連邦領土を「保持する」と誓う。南北両陣営のスタンスは決定的なものとなり、開戦は避けられなくなったのだが、その頃にはサムター要塞内の物資が欠乏し始めていた。開戦の汚名を着たくないリンカーンは卑劣にも「サムター要塞に物資を送る」作戦を南部に伝えた。

南部大統領デーヴィスに派遣されたボーレガード准将は、サムター要塞攻略指揮を引き継いだ。デーヴィスはボーレガードに、「サムター砦を降伏させ、出来なければ粉砕せよ」と命令を下す。かくして1861年4月12日午前4時30分、南軍砲台から飛び出した砲弾が、南北戦争の開戦を告げた。