雑記

親愛なる○○に捧げる

仕事は良い。

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元は一つの車輪なのだが、フォトショのパターンメーカー機能で変な絵が描けてしまう。知らなかったw

昨年の今頃に比べると、昼間のワイドショーで年金と社会保険庁が取り上げられることが減っており、業務自体は比較的楽である。…ということは昨年のあの忙しさは、どうやらマスコミのせいらしいw私自身としては昨年より責任の重い仕事が増えており、それはそれで大変なのだが、実際、障害者の年金相談などは随分なんとかしてやれるようになった。何とかしてやるという言い方は、別に法を曲げるわけじゃない。以下のようなことである。

某日、呼ばれたので窓口へ行くと、娘が精神に障害を負ったということで、お母さんが相談に来ていた。お母さんは窓口に来た時点で相当張り詰めた顔をしていて、
「障害年金が欲しいんです!」
と、かなりテンパった状態で窓口に来ている。窓口の嘱託さんは勢い込んだお母さんに驚き、娘さんの障害の話だと思わなかった、と後で言った。
とりあえず席のほうへ案内する。コレだけでも、お客は結構落ち着く。話を始めると、そういう激した状態なのでこっちの話は一言一句聞き逃すまいと聞いてくれる。私も真剣に、相手のために話す。

突然、お母さん号泣。
「すいません、すいません、続けて、それで…」

私もなんか目が潤む。お母さんが泣いた理由など、ヒヨコの頃には分からなかったことだ。経験を積んだので、分かってしまう。精神の障害は、親も本人もなかなか認めたがらないものなのだ。それでも働けないほどの状態なら生活には困る。障害年金か生活保護しかあるまい。それで、来た。でも、心のどこかで、目の前で喋る若者と同い年の娘が、精神の障害であることを信じていない。
要するに、障害年金の説明をする私の口から「精神の障害」と言う言葉を何度も聞き、思ったより手厚い障害年金の補償金額を見て、かわいい娘がいま「精神の障害」の状態にあることを、お母さんは認識してしまったのである。なんとも…
(ナイナイのオールナイトニッポンの「泣ける絵本」でこんな話があったのを思い出す。「お父さんは仕事が好きでした。お兄さんは音楽が好きでした。お姉さんはオシャレが好きでした。お母さんはみんなが好きでした。おしまい。」母の愛は偉大だ。)

私が仕事上できるようになったことと言うのは、「所定の手続きを粛々と進める」ということだけでなく、こういった追い詰められてしまった人たちの心のケアも含まれてると思ってる。もちろん、脱法する行為は許されず、障害年金請求は不可能と言うケースもある。その場合、お客は現実生活ではなんら救われることはないのだが、それでも親身になって接すれば、お客は精神的に少し救われるんじゃないかと思う。同じダメでも、上向きながら「無理無理、帰って。」と言うのと、うつむきながら「残念です。お力になれず、申し訳ないです」と言うのとでだいぶ違うだろう。

お母さんが家に帰って娘に今日の顛末を話すとき、「職員の若い人がバタバタバタバタ走り回って、いろいろ調べてくれてね。頼りないけど一生懸命やってくれたわ。精一杯やて。これであかんかったら仕方ないね」と娘さんに言い、娘さんが必死のパッチの私の姿を想像して気を晴らしてくれるなら、不必要なくらいバタバタしてやる。こういうのは偽善かもしれないが、結構コレは辛い。本当にバタバタするし、なんせ客に感情移入しちゃうので、こっちも躁鬱の激しい状態になってしまったり、結果ダメだったりするとひどい無力感に囚われたりする。役所の人間が鉄面皮の不感症なのは、結局自分の精神を守るためなのだろうか?よろしくない話である。

そういうわけで、私などに言われてもどーしようもない質問や罵声をただ浴びて謝る毎日だった去年より、良くなったのだ。
とにかく、仕事は良い。本当に良い。学んだことを放出して生きる糧を得るのだが、新たに得たもののほうがよっぽど多い。就職するとき、同期が「ああこれから懲役40年ですか」などと言ったが、そんなことないのかもな、と思う。